読書の効果を最大化!ショーペンハウアーの『読書について』を解説!

情報社会になり、文章が溢れていますよね。

けど、文章の読むことについて、真剣に考えたことはあまりありませんよね。

恥ずかしながら、大学まで卒業した小生ですが、「読書」について考える機会は、ありませんでした。

読むことってシンプルに思えて、意外とそうでもない。

ということで、こんかいは、ショーペンハウアーの「読書について」の本にふれていきます。

まずは、簡単に一言でこの本をまとめると

ショーペンハウアー

自分の頭で考えよ。じゃなかったら、どんだけ読書しても無駄。無駄。自動にお前らは読まされてんだよ。

つまり、ションベンハウアー。まちがえました。ショーペンハウアーは、

どうせ読むなら、時代を超えた・もしくは、超える「良書」を読めといっています。

その理由を踏まえて、詳しくこの動画でせつめいしていきましょう。

ショーペンハウアーの『読書について』

まずは、簡単に、アーサー・ショーペンハウアーについて、ご説明します。

19世紀のドイツの哲学者であり、彼の代表作には『意志と表象としての世界』(1819)などがあります。

今回紹介する「読書について」は、もともとは、「余録(よろく)と補遺(ほい)」のなかにあった、3つの短編「自分の頭で考える」「著述(ちょじゅつ)と文体について」「読書について」をまとめたものです。

では、ショーペンハウアーの読書に対する考え方はどんなものだったのでしょう。

早速、一つずつ触れていきます。

1. 読書の価値と限界

ショーペンハウアー

いかに大量にかき集めても、自分の頭で考えずに鵜吞みにした知識より、量はずっと少なくとも、じっくり考え抜いた知識のほうが、はるかに価値がある。

『読書について』(「自分の頭で考える」より)
ショーペンハウアー(著)鈴木芳子(訳)

ドキーっと刺さる言葉ですよね。

すぐに結果・成果が求められ、一冊の本を読むことよりも、記憶力や問題を解くことが、なりよりも優先とされる面があります。

そんなショーペンハウアーは、読書が知識を得るための重要な手段であると認めつつも、読書には限界があると指摘します。

彼は、読書ばかりに依存することは、自分の思考力を失わせる危険があると考えました。

他人の考えを受け入れることばかりに集中すると、自分の独自の考えを育てる機会が失われてしまうのです。

2. 自分の考えを深める

ショーペンハウアー

読書するとは、自分でものを考えずに、代わりに他人に考えてもらうことだ。他人の心の運びをなぞっているだけだ。それは生徒が習字のときに、先生が鉛筆で書いてくれたお手本を、あとからペンでなぞるようなものだ。

『読書について』(「読書について」より)
ショーペンハウアー(著)鈴木芳子(訳)

このようにショーペンハウアーは、読書に加えて、自分自身の思考を深めることの重要性を強調しています。

彼は、読書の後に自分の考えを整理し、内省する時間を持つべきだと述べています。

このようにして、他人の考えを単に受け入れるのではなく、自分自身の考えとして消化し、発展させることができるのです。

ショーペンハウアー

人生を読書についやし、本から知識をくみとった人は、たくさんの旅行案内書をながめて、その土地に詳しくなった人のようなものだ

『読書について』(「読書について」より)
ショーペンハウアー(著)鈴木芳子(訳)

ぬうぉおお。

ショーペンハウアーは、「言葉の芸術家」と言われるだけあって、ものすごい表現をしますね。

そして、かれは続けてこうやっていいます。

ショーペンハウアー

人生を考えることについやした人は、その土地に実際に住んでいたことがある人のようなものだ

『読書について』(「読書について」より)
ショーペンハウアー(著)鈴木芳子(訳)

ああ、いいことを言っているはずなのに、「なぜか、明日には校長先生の話は忘れる」

反対に、裸で暴れまわっている「エガチャン」の言葉は、響く。

それは、世界を直接読破した人だからかもしれません。

*「AIにそれを表現することはできない」と小生は考えている。それこそ人間の未来の仕事。

3. 良書と悪書の区別

ショーペンハウアー

悪書から被るものはどんなに少なくとも、少なすぎることはなく、良書はどんなに頻繁に読んでも、読みすぎることはない。

悪書は知性を毒し、精神をそこなう。良書を読むための条件は、悪書を読まないことだ。

なにしろ人生は短く、時間とエネルギーには限りがあるのだから。

『読書について』(「読書について」より)

ショーペンハウアー(著)鈴木芳子(訳)

このように、ショーペンハウアーは、良書と悪書の区別が重要であると説いています。

彼は、多くの本が市場に溢れている中で、価値のある本を選ぶことが大切だと述べています。

良書は読者に深い洞察を与え、精神を豊かにしますが、悪書は時間の浪費となり、読者を混乱させるだけです。

読書の方法や読書のタイミングについてもふれ、彼は、読書中にメモを取ることや、重要な箇所を再読することを勧めています。

また、彼は速読よりも深く理解することを重視し、時間をかけてじっくりと読むことが大切だと述べています。

読書のタイミングは非常に重要であり、疲れている時や集中できない時には読まない方が良いとしています。

良い読書は、心と頭がリフレッシュされ、集中できる状態で行うべきだと述べています。

4.良書の選び方

では、どのようなものが良書なのでしょうか。

ショーペンハウアーさんはこのように述べています。

ショーペンハウアー

世界史で五十年といえば、つねに相当の歳月だ。世界史の素材はたえず流れ去り、しかしたえず何か起きているからだ。これに対して文学史では五十年はしばしば、何事もなく過ぎいくため考慮の対象にならない。いいかえると、文学史は下手な試みは関わりがない。つまり、五十年前と変わらないのだ。

『読書について』(「読書について」より)

ショーペンハウアー(著)鈴木芳子(訳)

はい。口をぽかんとしている人へ。

簡単に説明すると、季節みたいなものです。

例えば、文学史に、置いて「宮沢賢治」や「ニーチェ」など、時代の流れがおいついておらず、死んでから評価が上がる人がいます。

ショーペンハウアー

死後に名声を得る人物がたいてい同時代人の称賛を得られず、逆に同時代人から称賛された人物が死後すっかり忘れ去られる。

『読書について』(「読書について」より)

ショーペンハウアー(著)鈴木芳子(訳)

夏には、夏服が売れ、冬には冬服が売れる。

当たり前ですよね。

それは、移りゆく時代のように

「宮沢賢治」が、ニュー縄文時代の文豪。

「ニーチェ」が、そのニュー縄文時代の曙光の文豪。

そうやって、時間を超越したグリルとの対話を感じる本でした。

5.私の良書の選び方

私の良書の選び方を紹介します。

現代の流行りの本は、「良書か、悪書か」わからないということだけが、分かっています。

反対に、古典というのは自然淘汰されて何かしらの理由があり、時代を超え伝わっているわけです。

例えるなら、若芽が「流行りの本」であり、大木が「古典」になります。

大木も、雷に打たれる可能性がありますが、雷に打たれても、来年に若葉をつけます。

そのため、「古典の良書を受け取る」ことが賢明であると考えています。

まとめ

ショーペンハウアーの『読書について』は、読書の価値とその限界、良書と悪書の区別、効果的な読書の方法について深い洞察を与えてくれます。

現代の私たちも、彼の教えを参考にしながら、より良い読書体験を追求していきましょう。

最後に妄想をします。

あるところから本すらもいらなくなる。

本の内容が、自分の体験として、落としこまれるため、自然から受け取るようになる。

その受け取ったことを、なにかで表現する。

そして、言葉はいらなかった。

言葉以上のなにかで対話ができるようになっていく。

そのため、聖書では未来が記されていない。

記されていないというのは、記す必要がなくなるから。

と、くぽくぽ妄想しているのでした。


以上最後までよんでいただき感謝。感謝です。

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