「現代人は何を追いかけている?幸福の妄想と現実」|最強の幸福論
幸福になりたいけど、なれない。
そんな人へ、幸福も不幸も妄想です。
追いかける意味はない。
幸福は、すでにあるものです。
現代において、ほとんどの人が、200年以上前の貴族以上の暮らしをしています。
けど、現状に満足せず、
ちょっとでも高級な車。
ちょっとでも生活水準の高いご飯。
ちょっとでも大きな家。
このように、他人と比べて良い暮らしを目指していませんか。
そんな人は、幻想の幸福を追いかけて不幸になっていきます。
なにを追いかけているのでしょうか。
いまは、お腹が減ったからといって、狸を追いかける人なんていませんよね。
けど、100年前は多くの人が狸を捕まえて食べていた。
こんなことをあなたは考えませんでしたか。
- 昔の人は野蛮人だな
- 大変だな
けど、この100年で、あなたは狸の変わりに、お金を追っかけて、
他人と比べて、ちょっとでも生活水準を上げることが幸福だと思っていませんか。
そのために、たくさんの時間を浪費していませんか。
100年後の人からみたら、いまの生活をみてお金を追っかけて、
- 昔の人は野蛮人だな
- 仮想のお金を追っかけて大変だな
って思われているかも知れません。
実は、幸福になりたいけど、なれない人は、
どの時代も他人と比較して競争するから不幸に陥ります。
反対に、どの時代の幸福な人は、すでにある幸福を感謝して自分でみつけます。
幸福は、すでにあるものなんです。
すでにあるものを見つけるのに、お金はかかりません。
幸福を見つけるのに、お金を追っかける意味はないんです。
理由は、簡単です。
幸福感は自分が基準だからです。
それなら、水準を低くして、死ぬこと以外は幸福とみることができるです。
水準を低くすることは、ストイックに思いますよね。
「そうです。
これを述べたのは、2世紀ほど前になる哲学者マルクス・アウレリウスです。
ストア派とよばれ「自生禄」に書かれています。
ストア派というのは、ストイックの語源です。
そして、現代においても、死ぬこと以外ハッピーと思う民族はいます。
一見、貧しくて惨めに思うかもしれませんが、
彼らの頭は幸福でいっぱいです。
つまり、幸福も不幸も妄想でしかないんです。
妄想なら、いっそのこと自分軸の幸福で生きよう。
そう思って「深く、強く、広く、長い幸福」を目指している道半ばです。
ゴールもなければ、スタートもないですが、
幸福の生き方を妄想しました。
幸福とは?
生きるために切り離せないことは、お金じゃないですよね。
「衣食住」の生存ですよね。
けど、目の前の生活に終われ、「衣食住」について考えない。
15分でご飯を食べ終え、10分でシャワーを浴び、5分で洗濯を終わらせていませんか。
考えたとしても、他人と比べたリッチな暮らしではないでしょうか。
それって、とっても「浅く、弱く、狭い、短い」幸福です。
きっとそんな人の頭の中は
「晩ごはんを買いにいかなきゃ」
「ディナーは、高級ホテルのレストランで美味しい外食を食べたい」
「お腹へった。昼飯コンビニでいっか」
「今日は、仕事おそくなるからお菓子も買っておこう」
このように15分で食事して、3時間くらいご飯のことを妄想する。
仕事をするのも、リッチな生活のため。
頭の中では、3時間どころか、一日のうち24時間妄想に取り憑かれているわけです。
15分でご飯を食べ、一時の3分は幸福。
お菓子を食べて、一時の1分は幸福。
けど、またすぐにまた、馬車馬のように働く。
死ぬこと以外ハッピーと思っている人がいる。
それなら、いまいる人、いまあるご飯をゆっくり笑顔で食べる。
「晩ごはんを買いにいかなきゃ」
「ディナーは、高級ホテルのレストランで美味しい外食を食べたい」
「お腹へった。昼飯コンビニでいっか」
「今日は、仕事おそくなるからお菓子も買っておこう」
という妄想をやめて、あるものを食べ、楽しく仕事に打ちこんだほうが幸福。
実は、このように妄想が少ない人は、
生産性が高く、客観視して物事を考えるため、
楽しく仕事に打ち込んでいます。
企業に勤めていても、勤めていなくても同じです。
ご飯をゆっくり食べ、たくさん噛むことになります。
食べることへの感謝につながり、
「ああ、農家さんに感謝。自分でも創れないかな」
と、探求心も生まれます。
その結果、気がついたら、私も週1日を使って、栽培を試みています。
あるがまま現実を自然のまま受け入れるわけです。
そして、楽しく未来の妄想(インスピレーション)をする。
100年後には
- 昔の人って、稲と雑草を分けて、栽培していたんですって、非効率的で自然じゃないわね。
- 雑草という草はないのよ。タンポポは雑草かしら?
- 昔の人って、お金ばかり追っかけ愛でたくなるお猿ね
- 昔の味付けって、甘いだけね。深い味わいはないわ
こんなことを語っているかもしれません。
これは、私の妄想です。
妄想は、ときに役立つこともあるです。
妄想が現実を作っていくからです。
「空を飛びたい」って妄想をしたから、飛行機をライト兄弟が創った。
妄想は、上手に役立てればいい道具なわけですね。
ただ、妄想と現実の識別をしないと、お猿さんの脳によって「善良な神が、善良な紙幣が、光明を照らしてくれる」と、勘違いをするわけです。
つまり、幸福とは、現実の衣食住をしっかり考え「いま」を行動する。
「過去の取越し苦労の妄想」や「未来に対して、過度に不安をする妄想」は、無駄なんですね。
なぜなら、みんな最後は死ぬからです。
死んで土になり、空気になり、移り行くだけ。
どんなに立派なあの人も、死んで骨になって土となり、ミミズの餌になる。
ミミズが土を耕し、野菜となって、人が食べる。
すべては関係性があるだけなんです。
それ以上でも以下でもない。
つまり、幸福も不幸も妄想でしかなく、意味もない。
それなら、いっそのこと死ぬこと以外は「深く、強く、広く、長い幸福」で考え、自分軸の幸福で生きる。
すると、宇宙の関係性に歓喜して、感謝感謝ですとなる。
あるがままの世界は、完璧でとってもシンプルなんです。
以上最後までご視聴いただきありがとうございます。
投稿者プロフィール
最新の投稿
- アシカ執筆活動2024.08.13【私の個人主義】ブレない自分軸を身につける|夏目漱石
- 本のアウトプット2024.08.10読書の効果を最大化!ショーペンハウアーの『読書について』を解説!
- ハゲのメッセージ2024.08.09宇宙エネルギーの秘密を知る!これを知らないと損する【369のメッセージ】
- ハゲのメッセージ2024.08.09風の時代と水瓶座:スピリチュアルの真実とは?【369との対話】