【覚悟ができた人のみ】「苦しみさん」さようなら|自小説

小さい頃から、「人生に意味はない」と知っていた。

大人たちは、意味を見つけるために、様々な方法を使い快楽に溺れさせ、常識に誘導しようとする。

そのことを私は、小さい頃から「ぼっ」と見ていた。

大人たちに「なんで、意味のないことに齷齪しているの?」

と、声にならない声で語っても、ほとんど通じなかった。

子供は仕方ないから、大人たちの常識に合わせようとする。

子供が病気になるのは、過去の記憶から形成された「おおよそ共通するこの世界にある」苦しみの波動を合わせているのかもしれない。

大人になって病気にならなくなるのは、苦しみの波動に合わしている通過儀礼であろう。私は、こう呼んだ。肉体を存続させるための「防衛本能」と。

病弱な人ほど喜びに近い存在であり、障害者の子どもを持つ両親は優しかったりする。そして、そういった子どもの生命は、短命で親に迷惑かけないようにできている。

そして、わたしも病弱であった。

小学生の毎週日曜日は、決まって病の日であった。だが、死ぬ気はしなかった。

ただ、肉体的に押し込められていく「七五三」の行事があるたびに、その窮屈さは強くなっていった。

言葉を忘れて生まれてきているから、それを表現できるだけの「なにか」は持ち合わせていなかった。

泣いたり、笑ったり、落ち込んだりして表現していた。

私が笑うと、世界が輝くようで両親の喧嘩も何度も止めた。

だが、それが通用するのも小学生までだった。

そこからは、進路という未来の枠に押し込まれ、さらに窮屈になっていった。

行き場のないこの感情。

中学生までは、教室中で受け取っている者が、ちらほらいた。

だが、高校になり、大人になればなるほど廃れていく。

幼子をまるで、邪魔者のように扱っていく。

この苦しみに合わすことのできない私は、まるで一人違った世界に迷い込んだように思った。

だれとも、心を通わせることのできない。人を敵だと思うようになっていった。

「このような素直な心に感じるものを語れないのだ」

「語っても、虚しい叫び」となり、世界に吸い込まれていく。

そうやって、押し殺していくと19歳で「肺炎」になった。

「もう、この世界いいかな?」って思った。

そのため、病院にいかずに2週間放置した。

一向に治る気配はない。

体温計をみると42度。

ああ、これで楽になれる。

わざわざ苦しい波動にあわせず、肉体からでれば軽い波動の幸福な世界へいける。

現実から逃避すれば、忘却している理想の世界を視える。

死に対してなんの思い入れもなかった。

そんなある日の晩。

ふわふわして、自分を上から見ている。

ああ、別に死んだところで対して変わりはしない。

「そもそも、生きているって錯覚でしかない。仮でしかないんだ」

とだけ述べておく。

現実をみても、「死について何も分かっていない」ということだけが、分かっているだけ。

なのに、「死」は、「悪」と「恐ろしい」と、わたしたちは思っている。漠然としか考えない。

むしろ、一番避けては通れない現実なのに、一番避けて生きているのが、大人たちであろう。

例えば、みんな死ぬが、みんな「悪」で「恐ろしい」のだろうか?

ほら、すぐに、「死」についての解釈の矛盾がみえてくる。

とってもシンプルなのに、「死」を複雑にする。さらに、「死」を利用して、他人を自分の所有物のように扱う。

学校や会社という、枠で所有物にしようとする。

激しくムカムカしているのだ。

いや、ムカムカよりも憐れである。無気力に、生きることに恥と、私はなっていった。

「何をやりたいか、分からない」

まさに、今の時代の迷路に、私も潜っていった。

その結果、会社員でも5年が限界だった。28歳の年から自営でなんとかしようとするが、今度は資本による圧力により、事あるごとに無気力となる。

そんな人生を2年ばかり過ごしている。

いわゆる、金無し、借金持ちのどうしようもない30歳になっている。

だが、不思議と「肺炎」になったときのように、死ぬ気が全くしない。

むしろ、爆発的な動悸が起きる。

呼吸ができるのだ。

感謝ができるのだ。

赤ちゃんのように泣き叫ぶ、文章が書けるのだ。

そう、わたしはAIでは書けないような魂を帯びるようになった。

たしかに、苦しみは一種の魅力では有るが、いつまでも苦しむ必要はない。

手段だったのだ。

そう、幸福をしるための1つの手段。

その手段を選ぶことはできるが、わざわざ選ぶ必要はない。

「さようなら」

わざわざ、苦しみを「歓喜だ」と述べる必要もない。

結局「人生に意味はない」のである。

ただ、人生の意味に対して解釈の違いがあるだけだったのだ。

そのことを「おおよそ共通するこの世界にある」もので遊んでいるのだ。

そのため、すべて歓喜であるが、学びを得たなら、その解釈から移行するようになっている。

同じ檻にいることはできないのだ。自然の摂理なのだ。

例えば、その道具の使い勝手が良くない古い産物になるだろう。

いまや、羽根ペンで文字を書く人は稀であろう。

それと同じように、自然に淘汰される。

まるで、最先端の技術に思えても自然に淘汰されていく。

40年前のパソコンが化石となっているように、いまのAIも40年後には化石となる。

意味のない化石が、石油となって、ある時は意味が生まれ、ある時は意味がなくなる。

100年もすれば、石油がまた化石になるだろう。

そして、ある時は太陽に意味を見つけようとする。

何度も繰り返しているとも知らず、ちょっとだけ違った形で「人生に意味はない」と再確認する。

藻掻き、足掻いて、生存するためにあらゆることを解こうとするが、無駄である。

だが、無駄なあがきが「歓喜」なのだ。

この歓喜といる者は、幸福であろう。

いや、幸福すらも考えない。そんな人が幸福者だろう。

いまは、そこを目指そう。

私は、そこを目指して生きよう。

おそらくそこは、眼の前の苦しみなるすべての根源が消えてしまう世界だ。

「さようなら」

生まれてすぐに泣き叫ぶ「苦しみ」という歓喜が「笑み」によって歓迎されている。

偉大なる母に抱かれているまだ若い魂だが、

苦しみよ。いままでありがとう。

それでは、さようなら。

ああ、ぽっかり空いてしまった宇宙に幸福すらも忘れるほどの幸福を創ってみよう。

いまは、そこを目指そう。

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